そら、顎尻さん、首を切っているんですよ…。痛いに決まってるじゃないですか…。
今から、7、8年前の話になる。顎尻おやじは結構、健康には気を使っている。
酒タバコは一切しないし、なるだけ生活のリズムも崩さす、体に悪いものは余り口にしない。そして体を動かすことも結構好きである。
そんな、顎尻おやじであるが10年以上前に、首の後ろ側に
小指の先
程の出来物ができた。後に
脂肪腫
と診断される。
それが痛くも痒くもないので、ずっと放ったらかしにしていた。そうするとね、どうやろう、5年ぐらいかな経つとね、気付いた時には小指の先っぽぐらい小さな出来物が夏みかんぐらいの出来物に成長してた。
それでも全く痛くはないし、生活に困らなかった。って言うより怖いから放ったらかしにしていた。
そしたらね、ある日、妻に、妻の知り合いのドクターの前に連れて行かれて診断されたのよ。そうするとね、そのドクターが
脂肪腫
やろうけど、悪い出来物の可能性も全くない訳ではないし、それにその出来物、
「このまま放っておいたら、あなたの顔ぐらいの大きさになった例もある。」
「まだ若いから大きくなりやすいし、切ったほうがエエなぁー」
と手術を勧められた。そしてそのドクターに恐る恐る、エエ病院ありますか???
と聞くと、
「別に大したことはないから、どこの病院でもやってくれる。」
「怖いんやったら、少しだけ入院して全身麻酔で手術してもらってもエエかもしれん」
ってことで、とある病院を紹介してもらった。
そして、早速、正直行きたく無かったが、その紹介先の病院へ。
そこでも診断はやはり
脂肪腫。
そして、恐々、自ら手術を申し出た。
そして淡々と入院の手続きへ移行していった。予定では4、5日ぐらい。それでも十分すぎるとのこと。怖がりなので、何も分からないうちにやって欲しいと全身麻酔での手術を希望。すべて、順調に進んでいった。
そして入院し、手術へ。簡単な手術とは言え、妻も子供たちも、当時は妻の両親までも心配してくれた。まあ一応、
首を切る
事になる訳ですし、全身麻酔も怖いし、脂肪腫が別の悪いモノだっだらと、それでも心配は尽きない。入院して手術までにも職場の仲間や家族がお見舞いに来てくれ、
感謝
しかなかった。
人間弱った時の人の優しさは心に染みるよね。
そして手術。あっと言う間に終わった。
首の後ろにあった夏みかん大の脂肪腫は綺麗にとれ、手術も成功、検査結果も後に分かり悪いモノではないことが分かった。だから皆んな安心していた。私も勿論安心していた。恐怖を克服し首の厄介者が居なくなったのであるから、それも仕方ない。ただその後が大変だった。
手術前に当然術後の話も十分説明されていた。
術後、何故か首に
違和感
があった。少しづつ痛い。痛む。それを始めは我慢していた。が余りにも痛いので年配のA看護師さんに言うと、
「顎尻おやじさん、いつもの怖がりが出た?」(怖がりで有名になってた!!)
「なんせ首を切ったんですよ、少しぐらい痛いに決まっているじゃぁないですか」
ってほんのり笑って、何も見ずにナースセンターに帰ってしまう。そう言われたら
「そうか、怖がってるのか」
「確かに首を切ったんやから、少しぐらい痛いのは当たり前や」
と我慢していた。決して我慢できない痛さでもない、表現すれば
鈍痛
ぐらい。
でもね日にちが経つとね、ちょっとづつ痛さが増してきた。そして見舞いに来てくれた妻にも言ったら、
「あんまり痛かったら、ドクターに見てもらわなあかんよ」
とアドバイス。それで、また巡りか、その年配のA看護師が当直の際に
「あの、やっぱり首、だいぶ痛いんですけど。」
って恐る恐る(なんで恐れながら言ったんやろう??)言うとね、やはり少し笑って
「首を切ったんやから、痛いのは当たり前」
「大丈夫、大丈夫」
と言って、何も見ずにナースステーションに帰る。
「この看護師はアカンなー」
と思ってみても今晩はその看護師が私の担当やから、何度言っても一緒や。明日の朝、別の看護師に言ってみようと思い、朝になって、B看護師に言うと何も見ずに
痛み止め
をくれた。
「これで、大丈夫ですよ」
っとね。しかしその痛み止めも余り効かなくてね。薬が切れたのか、やっぱり痛いんですよ。首がね。それでどうしても我慢できないから、若手のC看護師に
「僕ね、首を手術してから、少しづつ痛みがあるんですよね。大の大人がね我慢してても痛いんですよ。一度ね首の包帯やら全部外して(なんか装置もつけてた)診てくれませんか?」
「痛み止めも効かないぐらい痛いんですよ」
って言うと、そのC看護師は、なにも言わずにすぐに包帯やらなんやらを外し出した。そして
あ
っと言うなり、その場を離れドクターを呼びに行った。そして私を手術してくれたドクターがたまたま居た様で、すぐに駆けつけてくれ患部を診て、そのまま措置室に運ばれた。
なんと麻酔もせずに切ったところを縫った糸も切られ消毒等をされた。
どうやら術後、首からぶら下げていた装置が上手く働いていなく、
患部が化膿
していたようだ。ドクターも看護師も血相を変えて措置してくれると共に、平謝りだった。
それから4、5日で退院できるところ、3週間も入院する事になった。
そして事件はその後に起こった。12月の入院で年内に悪い事を終わらせると思っての入院だったが、年をまたぐ形になてしまって残念に思っていた。
そして、顎尻おやじは度重なる入院生活で、大便が出なくなった。
便秘
である。いつもはどちらかと言えば、毎日快便タイプ。食事も気にしているし、適度な運動もしていたから毎日会長!!いや快調って感じの男。硬いと言うよりは緩いタイプのおつうじ。でも入院生活での食事では野菜が足りなかったのか、寝てばかりで腹筋を使わなかったためか
便秘。
頑張っても、頑張っても出ない。なんか嫌やなぁって思ってたら、余計に出ない。それから結構トイレで頑張る日々が続いたが、やはり出ず。ある日、意を決して看護師さんに言おうとナースステーションに行くと
あの年配A看護師
が居るではないか…。いやぁな感じ。
でもその時は、じっくりと話を聞いて、
下剤
をくれた。でも改善しない。完全に肛門付近でデカイ大便が封鎖していて、開通にいたらないのである。その封鎖している大便がとり除ければ、後は気持ちよく出るはずだが岩の様に硬いものが封鎖している。無理やり自分で触っても出せない。えらい。しんどい。冷や汗もでる。
やっぱり、アカン
ともう一度トイレに。しかし出ず。
出ないところか肛門に詰まった感じで、もう悶絶状態。やばい、やばいと思っていたら、トイレの緊急ボタンを押しながらトイレ内で倒れてしまった。
情けない。
でも、それ以上に死にそう。そう思って、トイレ内に設置してあるボタンを押した。初の試みであった。
やばい、ほんま死にそう。(便秘で死にそうってなんなんやろう、でもホンマ)
その後、巡回中のガードマンが助けに来てくれた。車椅子を持ってきてくれた。
しかし、実に悔しかった。なぜ悔しかたかと言うと、これまで「痛い」と訴えていた顎尻おやじの話に耳を傾けず、放ったらかしにして患部が悪化。入院も長くなり、その上、この酷い便秘。それもこれも、
あの年配A看護師の責任だ
と思っていた。あのA看護師から下剤を貰うだけでも顎尻おやじにすれば、屈辱的なこと。そんな恨み節を心に抱き悶絶していると、どうでしょう…。私を乗せた車椅子は望んでも居ないのに、あの屈辱の年配A看護師の前に…。
なんで、こうなるんやろう…。
ほんと心底、悔しかった。これ程、悔しいことはそうない…。そう思っていた顎尻おやじに浴びせられたのは
浣腸しよう
と言う諦めにも似た、あの年配A看護師の上から目線での
お言葉
これ以上の屈辱はない。これ以上の屈辱は無かったが、私にあがらう根性はなかった。
その冷たい見下したお言葉、
浣腸しよう
に、ただただ、
はい、お願いします。
と、うなだれた様に言うのがやっと。それしか体力も根性も残っていなかった。ここまででも相当な屈辱と悔しさとを我慢しての浣腸であるが、これに輪をかけて、
「はい、顎尻おやじさん、ベットの上で校門、いや肛門だして…。」
と上から目線でイヤイヤあの年配A看護師が言う。
屈辱や、屈辱や。屈辱ったらありゃしない。
これが顎尻おやじの心の叫び…。
なんでこんな奴に俺の大切な黄門、いや肛門見せなアカンねん!!
絶対納得いかん、絶対に俺は逆らうぞーーーーーー!!!!
と思っても、思っても逆らうことは出来ずに、最後は
お好きにどうぞ…。
艦長!!!いや浣腸、ぶチュ…。
その後、ベットで寝かされてたら、今までにない便通が襲ってきた。凄い勢い。堪らずトイレに駆け込む顎尻おやじ…。トイレに座ったかみたかで、
ズボーン
と夏みかん大の大便が便器の底の穴に向かって飛び出された。この時の
スッキリ
は今でも忘れられないくらい、
スッキリ
であった。あれだけ屈辱的なことがあったのに、悔しくて、悔しくて仕方なかったのに…。最後には
浣腸してくれて…、ありがとう…。
しか心の底には残って無かった。なんや、よう分からん気持ち…。あんな気持ちにその後もなったことない。不思議な気持ち。首から夏みかん大の脂肪取られて、肛門から夏みかん大の大便でていき…。
それでは、下品なお下劣な話は、終わり…。
でも、ほんまの話…。
つづく…。
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