ヘビー級、それは神に選ばれし階級である。その領域に無差別で優勝してきた最強侵略者が挑む
10月6日、K-1大阪大会観戦記。
会場の雰囲気を文字にしてみた…。
新生K−1を会場で生観戦するのは、初めてのこと。
過去30年ぐらい前に旧K-1が大阪にやってきた時は、なけなしのお金でチケットを買って見にいったのを昨日の様に覚えている。
特に顎尻おやじは正道会館の帯を数年だけ巻かせて頂いていた(半端者であるが…)ので、後にK-1に参戦して行く
佐竹先輩、
角田先輩、
後川先輩
などに指導されていたこともあり、それはそれは
K−1と言う格闘技の祭典
を観に行くことに
思い入れ
と言うものがあった。
当時のK-1はヘビー級から始まったことから、そのヘビー級が脚光を浴びるのだが、そのヘビー級、ボクシングなどでは
神に選ばれし階級
と呼ばれる、一握りの人間がいける階級である。
しかし、残念ながら、ヘビー級の外国人と対等に戦える
日本人が皆無
と言って良い程居なかったのが実際のところだ。
体格的に劣る日本人はK-1当初
佐竹雅昭
一人と言っていいくらいだった。
後にK-1に上がる
角田先輩、後川先輩、金先輩などはヘビー級には程遠く、後に左右の上段蹴りが上手かった
武蔵選手が無理やり肉体改造をして体重をアップ
し参戦するのがやっとであった。
当時は、極真会館も分裂する前で団体としても勢いがあり、おそらく
K-1
に出てみたい、石井館長に参戦を打診されたなんて言う選手も居たかもしれないが、後に
踵落とし
で一世風靡する
アンディーフグ
や
極真会館世界チャンピオン
フランシスコフィリオ
や
ブラジリアンキック
の
クラウべフェイトーザ
など、外国人選手が参戦するのがやっとであった。
創世記のK−1でヘビー級がメインで注目を集めたのに、戦える日本人がいないと言う問題にK-1は、頭を悩ましていたと想像できる…。
また、
慣れない顔面パンチ
を習得しながら試合に出ていた
佐竹雅昭選手
ですら
ヘビー級の外国人選手が繰り出す
ワンパンチ
で倒れる現象を見て一般観衆だけでなく、極真会館からも
佐竹は弱い
と言われる様になった。
正直なところ、日本人にはK-1やボクシングなどでは
ヘビー級で戦える選手が育たない悲しい現実
がある。
なぜなら
⭕️民族的に体が大きくない。
⭕️大きな体格を持った青年は空手やボクシング等には来ない他のスポーツを目指す。
⭕️稀に大きな体格の者が居ても、その練習相手が日本人では居ないので技術が向上しない
⭕️デカい日本人が居ないことから試合も組みにくい、だから試合経験が増えない
⭕️だからと言ってデカい外国人選手を練習相手や試合相手に連れてくることも費用が高いので安易にできない。
などが考えられる。
また、あれだけフルコンタクト空手でガチンコの稽古や試合を行い、決して下段やボディー等で倒れない佐竹選手などフルコンタクト空手の選手が
たった一発のパンチ
でマットに沈む姿を見てきたとは思うが、これもフルコンタクト空手選手特有と言っても過言ではない、
顔面パンチに打たれ慣れしていない
のである。
フルコンタクト空手の選手は顔面を打つことは、それほど技術的にも抵抗はないのであるが、打たれ慣れてないが故に、顔面を打たれることに
脆さ(もろさ)
があるのだ…。
ましてやヘビー級の選手は、
練習相手、試合経験が極端に少ない
のだ。だからヘビー級の日本人選手が
顔面を打たれ慣れること
はないと言っても過言ではないのだ…。
そんな不利な状況を物ともせず
果敢にチャレンジ
していたにも関わらず、旧K−1の日本人ヘビー級
佐竹や、武蔵、中迫
選手が、ヘビー級外国人選手のワンパンチで脆くも倒れてしまうのだ…。
それを知ってか知らずか
守られた世界から出てこない選手
や
テレビ画面でゲーム感覚で見ているだけのファンからは、単に
弱い
と言う声しか聞こえなかったのが残念で仕方がなかったことを四半世紀以上も前の話ではあるが、今でも自分ごとの様に
悔しさ、歯痒さ
みたいなものを覚えている…。
そんな
神に選ばれし階級
に、令和の時代に新生K−1において開催されるヘビー級に挑戦する、普段は
クルザー級
で
フルコンタクト空手で数々のタイトルを奪取してきた
JFKO重量級チャンピオンで元白蓮会館の
山口 翔大選手
が挑戦するので応援する為にヤマトいや、ハウルを連れて
西の聖地
エディオンアリーナ大阪
(大阪府立体育館)
に参上した。ハウルが山口選手を知ったのは彼が小学校低学年で、たぶん生で初めてJFKOの試合を見にいった際である。顎尻おやじが
⭕️今、重量級で最も技術の高い空手家を見に行こう。
⭕️お前も空手続けていくなら、この人みたいに技術の高い、デカい選手を目指せ
⭕️デカい選手は体で勝って、技術は未熟な人が多いのだが、この空手家は違う。
と言って、府立体育館に連れて行ったのが始まりだろう…。今でもハウルは覚えているらしいのだが、当時試合前にアップをしている山口選手をこっそりと見て、
アレは山口やない、山や
大きすぎる…。
と言っていたが、いまだにあの時の衝撃を忘れられないらしい…。
話戻して。
山口選手の試合はセミファイナル
で相手は旧Kー1でも活躍した
エロール・ジマーマン
である。
山口選手より遥かにデカい相手。
試合内容については余り細かくは記さない…。
映像を見て色々と感じていただけたらいいと思うのだが、顎尻おやじ的には
その試合会場の空間をなるだけ拙い日本語でお伝えしたいと思う…。
山口選手の試合はセミファイナルだが、三、四試合目ぐらいにはエディオンアリーナ大阪に入っていた。会場は
眩しい照明。
ノリのいい音楽
綺麗に着飾った女性達
いかにも体が大きく厳つい男達
リングサイドには煌びやかなKー1ガール
リングサイドの観客席には、
ブレイキングダウン等で活躍中の
ノッコン寺田さんや、サップ西成さんなどブレイキングダウンの選手が所狭しとリングサイトを彩っていた。
我々も周りは白蓮会館の選手や家族等が沢山詰めかけている席に座っていた。前にはノッコン寺田さん、すぐ近くには、一円会館の館長だと思う(大会でお見受けするだけだから間違いなら🙏ごめんなさい)が座られてたり、
YouTubeで有名
な
古コンさん
も直近に座っていた。
完全に全ての試合を見たわけではないが、山口選手のセミファイナルが一番会場が燃え揺れていた。
私たちの周りは完全に
山口ファン
だけ…。
そして今まで椅子に深々と座っていた観客が自然と前のめりになる…。
それを見ていると正しく会場が揺れている様に見えるのだ…。
その昔、極真会館がひとつだった時に府立体育館に正道会館の選手が出場した時と似ている。
そして、口々に山口選手を鼓舞する声が乱舞する。
決してファンが一丸になっていると言う感じはないのだが、山口選手が決める
カーフキック
や
ローキック
がジマーマンに当たるたびに、歓声が飛び交う。
まるでその歓声で山口選手と一緒にジマーマンを押すかの勢いだ…。
完全に会場を支配しているのは山口選手。
山口選手が入場する際に(上の写真は別大会のもの)
サークル・オブ・ライフ
で登場して以来、観客の心を鷲掴みにしているのは完全に山口選手だった。
その勢いは2ラウンド終了まで続いた…。
2ラウンド終了時、観客は少なくとも山口選手を応援しにきている観客は
あと1ラウンドで勝てる、倒せるのでは…
と思ったはずだ。
おそらくは山口選手やセコンドも思っていたのかもしれない…。
それが裏目に出たと記すには格闘技経験の浅い私には痴がましいが、敢えて記させていただくと
そのイケる
が隙を作ったのかもしれない…。
会場はそれこそ、
ジマーマン
及びジマーマンのセコンド以外はそう思っていたのかもしれない…。
しかし百戦錬磨のバッファローの戦う気持ちは完全に折れてはいなかった…。
そして2ラウンドまでは完全に亀になっていた(悪い表現に聞こえるがお許しいただきたい…)山口選手の上段のカードが、少し下がっていた様に思う…。(あくまでも気持ちの上での上段のガード)
イケる
と驕りだけではない、フルコンタクト空手の選手は、そこまでガードを上げて戦うことは、ほぼない。だからガードを上げ続けるのは、結構体力を消耗するのだ…。その上段のガードの意識も薄れていく…。それに、ガードの上からでもヘビー級のパンチは効くのだ…。
そのどちらもが重なったのだろう、3ラウンドに
バッファローの角が獲物を突き刺す様に、あの巨体から放たれた
飛び膝を喰らってしまうのである…。(攻撃を喰らった時はガードはしっかりと上がってはいたのだが…私にはガードの下、それも間から膝が顎をとらえる様に入った様に見えたのだが…。)
会場の空気が完全に変わった…。
フルコンタクト空手が負ける…
俺らの代表が負ける…。
子供達の空手大会に姿を見せては誰よりも大きな声で応援している漢が負ける…。
そんな空気の波が重苦しく観客の前のめりの体を逆方向に押してくる…。
試合は、
完敗となった…。
その後、リングから降りた山口選手が我々の方に向かって言葉を発していたが、それは山口選手の涙とともに打ち消された…。
正直なところ、体の大きさ、特に体重の大きな違いは相当なリスクを背負うことになる。
それでも、
柔道の世界で良く言われる様な
小よく大を制す
ことが山口選手なら出来るのではないかと
夢を持たせてくれた…。
そんな漢が漢泣きしたのである…。謝罪と共に…。
何を謝らなければいけないのか…。
誰よりも不利だと分かっているのに果敢に挑戦した
神の領域を侵略する
に、もう一歩というところまで我々を導いてくれたのではないか…。
我々には感謝しかなく、彼を責める者など私の周りの観客には一人も見当たらなかった…。私自身も、30年ほど前に必死に佐竹選手や武蔵選手を応援していた時と完全にオーバーラップしていた。更に
山口翔大選手は決して現状恵まれた環境にいるとは言えない…。
正直、年齢的にもきつい段階に来ていると思う…。
所謂、遅咲き選手なのだ…。
それなのに、まだまだこの先に道があることを示してくれているし、歩いて行ってくれるのだろう…。
その昔、
冬の蝉
と言う歌が人々の心を打った。年末の時代劇スペシャル「奇兵隊」の主題歌になった歌である。
その歌詞に、
時として人は、季節を違えて 生まれることがある 冬の蝉の様に
けれど短い時代を 悲しみもせずに 鳴き尽くせたら誰も 嘘と呼びはしない
時として花は 季節を違えて 先に匂うことがある 早い春の様に
迷い咲きと呼ばれて 疑いもせずに 咲き尽くしたら誰も 嘘と呼びはしない
この歌詞に出てくる蝉と花に共通してあるもの、それは確かな強さ‼️であると思う。
季節に、気温に、人の目に、時の流れに抗う強さがなければ、
冬の蝉として、迷い咲いた花として
一生を全う出来ないであろう。
その強さを彼、山口翔大は持ち合わせているのではないだろうか…。
私の様なものが今後の彼を語ることは憚れるのだが、まだまだ鳴き喚き、狂い咲ききって頂きたいと思う。そして彼が私の様な者にも言う、
泥臭く勝ちます
と言うコメント。これは正しく、彼を育てた白蓮(会館)のごとく、
泥の中で凛と咲く
蓮
の美しさと強さを表している様に想う…。
最後に。
府立体育館を後にする時、空手会では有名な元全日本王者の二人と一緒になった…。
その二人の会話が
「俺、泣いてしまいましたわ、負けが悔しいですわ」
「試合で泣くなんて、あったかなぁ…」
「何言うてるねん、泣いてないやろう、俺の方が泣いているわ」
と言うので、その一人の元王者の目を見ると、これでもかと言うほど
大粒の涙で瞳が潤んでいるのである…。
そして、
「あかん、やっぱり悔しい…。」
二人の言葉が涙に滲んでいた。
そして、その言葉を、涙を見て顎尻おやじの目尻にも心の泉が溢れてきた…。
それでは、また…。つづく。
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