今では、人生のトライアスロンを経験させて頂いてますので…。
もう、四半世紀以上前の話になりますが、ちょっとした昔話を…。
私、顎尻おやじは若い頃、トライアスロンにハマりましてね。なかなか良い競技なので皆さんに知ってもらいたいのでお話しします。
ちょうどタクボンが生まれる前に数年ハマりましてね。結構なんでも沼るタイプなんですわ。なんか思いついたらヤルタイプ。トライアスロンを始めたのも、ちょっとした好奇心と先輩の言葉から…。
○◯君、細いし、耐久力ありそうやから、トライアスロン向いてるでー
って言葉に踊らされた。先輩は仕事場の旅行に行くのも自転車で一人行って、通勤ではランニングで出勤するような人やったが、そんなトライアスロン好きの先輩に競技の素晴らしさや、楽しさ、爽快感などを聞いていたら、なんかやりたくなってきて…。そう思ったらやらんと居れんタイプ。
無理やろう(そんな感じやからシングルファーザーもやってこれた…。)
っとは思わんタイプ。そう、それが顎尻おやじ。
それでは、ここでちょっとだけ、トライアスロン競技について。
トライアスロンってね、短い距離の物もあるのですが、水泳、自転車、ランニングと3競技を順番にしていく。長いアイアンマンっていうタイプのトライアスロンは水泳3.9キロ、自転車180キロ、そしてランニングはフルマラソンと言うものがある。
さらにミドルタイプやショートタイプ、私がやっていた時はオリンピックにも採用されたことから、オリンピックディスタンスとも言われていた、水泳、1.5キロ、バイク(自転車をバイクと言う)40キロ、ランニング、10キロもある。
まあ、どれも初めは聞いただけで気が遠くなる競技。当然、競技やから他人とタイムを競うが、一般ピープルが競技をしている分には、他人と争うって言うよりは如何に自分に勝って、ゴールするかが勝負。ゴールすれば、タイムも何も関係なく、勝利って心境になる。
ゴールできた人も、できなかった人も、競技を最後まで見守ってくれるサポーターの人も競技をやらせてくれている、村や街の人も、皆さんに感謝できるエエスポーツ。感動、感動、感謝、感謝の競技。
そう、それでも確かに簡単にはできない気がする。
でもね、その時も74歳のお爺さんでもやっている。
体の不自由な方も参加している
って聞いたらね、
若い俺が躊躇してたら笑われるなぁ
って思ってね、聞く話、聞く話、全て鵜呑みにして始めた。
、
よく良く考えたら、小学校の時から徒競走はビリ、えげつないビリ。手と足が上手く噛み合わないのではと側から思われてたぐらい、ビリ。自転車も得意ではないし、そんな長距離走ったこともない。まだ水泳だけが、習った事はないけど泳ぐだけならイケルかもって感じ。
それなのに、話を聞いて1週間ぐらいでトライアスロンの競技用自転車を買いに行ってた。今もある有名な自転車屋さん。マウンテンバイクやロードバイクがメインのお店。ママチャリは申し訳程度に置いてある。お店の人に聞くとトライアスロンやっている人もお客さんに多いとのこと。
そして、その1週間後には、細くて、軽くて、格好いい高価な自転車が我が家に。
そして、時を同じく、水泳にはウエットスーツが要ると聞き、当時、関西のトライアスロンでは有名なプレイヤーの方がやっているお店にウエットスーツを買いに行った。(ググったら今もお店あるわ)そこの◯本さんに
「ウエットスーツを買いに来た、初心者です。」
って言ったら、
「良かった。今度、グアムでトライアスロンあるから一緒に行こう。」
「いい思い出になる。」
「最高の海、最高のメンバー、最高の感動」
「どれをとっても素晴らしいものばかりやから、行こう」
って言われた。まだ練習もしてないのに。でも言われたら直ぐ乘るタイプ。イケると思うタイプ。当時は空手をやってた時から、スポーツクラブにずっと通っていたから、ウエイトトレーニングを水泳や、マシンでのランニング、自転車に変えるだけでイケるか????と言う軽いノリ。
そんなノリで、
「僕、今から練習してグアム島でのトライアスロン行きますわ。」
って返事してた。たぶん8ヶ月ぐらい練習する期間があったかな??全く根拠がないのにイケる気がしていた。いつものこと、なんでも出来る、できる、デキる。そのトライアスロンは、水泳2・5キロ、自転車60キロ、ランニング15キロ(やったと思う、覚えてないけど…。)の大会。
それから練習しましたね。足が遅いのにどこへ行くのもランニング。今まで、自転車で通っていたところ、行っていたところは全て、ランニング!!そして今まで電車で行っていたところは、全て自転車で行くことにした。当時、仕事場も30キロくらい離れたところにあったんですが、職場へも朝から自転車で通勤。
全賭けするタイプ。
そして水泳は今まで、ほとんど入ってなかったスポーツクラブでプールに入り、本来ならスクールにでも入ってクロールを教えてもらったら良かったんですが、セコイ顎尻おやじは、プールに行っては上手な人の泳いでいるのをプールの上から見たり、プールに潜ってみたりと、ずっと観察してた。
たぶん、男の人も、女の人も、それこそ、おばちゃんお爺ちゃんに至るまで見て観て自分の泳ぎに他人の技術を取り入れていたから、当時は変に思われていたやろうね。若い人で水泳が上手いのは、子供の頃水泳をやっていた人も多かったのですが、結構年配の方、七十歳前後で上手く泳ぐ方が多く、それも長距離、2キロぐらいをゆっくりと、のらりくらりと泳がれていた。
それを真似しましたねーーーー。
ほんま毎日、それこそ頭の先から足先まで水泳、自転車、ランニングの事ばかり考え、行動していた。今まで出たことも無いのに10キロくらいのランニングの大会に出たり、ちょっとした山を探しては自転車で出かけたり、畳の上でも泳ぐ格好をしたり。
その後ね、数ヶ月で、当時、グリーピア三木って施設が兵庫県にあって(今のネスタリゾートのところかな??)そこで初心者向けのトライアスロンの大会に出た。小さな、小さな大会やけど。完走したらね、
めちゃめちゃ嬉しくてね。
ほんま。そして、これがグアムまで行って完走できたらどうなるのかなぁって完走した直後に考えてたね。グアム島での風景を想像しながらね。
そして月日は経ち、グアム島での大会へ参加する日が来た。
仕事場には無理を行って休みをもらい、いざ出陣。当時まだ出来て数年の関西空港から飛行機でグアムに行った。飛行機は嫌いで泳いで行きたかったが、当然、泳いでいけない…。苦手な飛行機死ぬ気で乗った。怖かったが時間が短かったし、一人参加してたし、黙っていても硬直してても誰もオカシイとは思わなかったはず…。
でもね、その時、ある人を飛行機の中でみた。
当時、伝説のトライアスリートと呼ばれていた方。そう、年齢74歳(だったと思う)のスーパー爺ちゃん、◯尾さんが乗っていた。グアムに向かう飛行機はトライアスロンに参加する人がたくさん乗っていたがその中にスーパー爺ちゃんが乗っていたのだ。
話をしてみたいなぁ
と思うものの、飛行機では立てない、歩けない、喋れないので諦めた。あとで話す機会がありお話しをさせ頂いた。当時、(思い出しながらの話やからね、事実と違うかも知れんよ、知らんけど…。)◯尾さんは確か、奥さんと二人で来られててね、テレビなどにも取り上げられてて顎尻おやじも何度かブラウン管を通して◯尾さんのトライアスロンしている姿をみた。
◯尾さんは、確か胃がんを患った経験があり、そこから回復し「何かやらねば」と思いトライアスロンの道に高齢になってから歩み出した。確か水泳の練習などは池でされていたと伺った記憶がある。話をさせていただくだけで光栄で、本当にニコニコしながら話すその笑顔からオーラが出てる人だった。すぐに尊敬に値する方だと感じさせられた。
そんな方とも参加できるトライアスロン。
グアムに着いてもショッピングや観光なんてせずに、当時、前日にカーボパーティーってのがあって、選手が集まってスパゲッティ食べながら、「頑張るぞーー」と決意を新たにするパーティー。(ざっくりすぎる説明)それにも参加して意気揚々と当日を迎えた。
当日は、
ザ、グアム島
って言うくらいの好天。湿気は感じなかったがお天道様が、我々に近づいてきているように感じた。そして素晴らしい海。それこそ、
ザ、グアム島
って感じの海。海岸からも魚が見えて、
「こんな綺麗な海で、魚と泳げるのかぁ」
と一人感動してた。遊び以外で海で泳ぐのは初めて。そして長い距離。泳げない、完走できないなんて全く思わなかった。感動、完走、感謝。それしか頭になかった。まあ、家族なりまわりの友達にはアホや、無謀やって言われ続けてましたがね。
そして、スタート地点で雄叫びのようなモノを皆んなで叫んで、
いざ、スタート。
スタートしたら感動や、魚や海の綺麗さなどサッサと忘れてしまうほど、海の中がトライアスリートでごった返す。どっちを向いて泳いでいいのかすら分からなくなる有様に、とりあえず集団と思われる人たちに付いて行く。
半分くらい泳いだところで、顎尻おやじはまた、海の綺麗さと魚と泳いでいることに感動。
そして水泳の、まぁカッコよく言うとスイムのゴール地点へ着いた。(顎尻おやじは3種目では1番水泳が得意だったので、このスイムで順位をあげておき、あとは下がり続けるような競技イメージを持っていた。)
そして1番苦手な、自転車、カッコよく言うとバイクへ。ここでウエットスーツを脱いでバイクのビンディング付きの靴へ履き替える時に既に足が攣りそうになったのを覚えている。
そして、グアム島の街中をバイクで走るのですが、まわりは結構普通に車も走っていた。完全に規制されてなかったように記憶している。そして先頭の選手には一応、先導バイクがいてグアム島の警察官が先導していてくれていた。まったく私の視界には当然入らない世界の話ではあったが…。
バイクの60キロ。割と平坦なコースであるが、初心者の顎尻おやじには、進めど進めど辿りつかない世界。灼熱の太陽と
「やめたら楽やで」
と言う天使か悪魔か知らんけど、言いよる。顎尻おやじに対してね。でね、どうやろう記憶ではバイクで3分の2程度進んだ時に
ゴー
っと言う音と共に、一台のバイクに抜かされた。良く見ると74歳の◯尾さんだ。心の中で、
「俺は、あんな爺さんに負けるのか…。」
と思った。決して見下していたのではないし、心の中で呟いたのではない。完全に口にだして、自分をなじった。悔しかったし、見せつけられてしまった。
地道な努力を。
そしてそんな風に思っていた私の前から◯尾さんのバイクはすぐに姿を消してしまった。完全に置いてけぼり…。
そしてバイクのゴールに。
たぶん、その頃から余り記憶がなかったと思う。今、思い返しても返ってこない。多分、それくらい疲れ、ぶっ飛んでたと思う。覚えているのはランニングでは少しアップダウンのある道で、たくさんの人に抜かれ、抜かれ、抜かれ続けたこと。それ以外の記憶はないなぁ…。
大会を含め、グアム島への旅行を通じて知り合った◯尾さん以外にも、十津川村で学校の先生をしていた人や、とても小さいのにパワフルな女性など沢山の出会いがあったのに、その人達は完全に私の視界からは消えて、多分すでにゴールしていたのだろう…。
そして意識朦朧状態でゴールした。
家族も友人も誰も待っていないゴールへ。
でも嬉しかった。ほんま嬉しかった。人間ほんまに嬉しい時は嬉しい以外に表現しようがない。
そう、嬉しかったのである。
そしてこの感動を、この完走と感想を、そしてこの感謝を私の知っている誰かに早く届けたかった。それは、トライアスロンを完走したという自慢でも、グアム旅行の自慢でもない。
言葉に表すと、それこそ本質の1%も表せないくらいのモノを伝えたかった。
そして、大会終了後のパーティー??も楽しく、ほんとうに充実した時間だった。帰りの飛行機の怖さも忘れて完全にはしゃいでいた。
そして、そこから本当の意味でトライアスロン生活が始まった。
何故なら、この感動をもう一度味わいたいから…。まぁ、これはやった人にしか分からんので、よければ初めてみてはどうですか?コロナ前からマラソンはブームですし、コロナ禍で通勤を自転車でされている方も増えたと聞いている。先日、テレビでたまたまみたが、90歳のトライアスリートもいると番組で紹介していた。
才能や経験は要らないと思います。
やる気と続ける
これだけで達成できる競技、トライアスロン。素晴らしいですよ。
で、なんで、そんな素晴らしいトライアスロンを顎尻おやじは今はやっていないのか??
それは、人生がトライアスロンの競技に変わったから…。
いい出会いがあってタクボンが生まれて、パパとママと仕事と3種目やらないと行けなくなったから…。こちらのトライアスロンも、いとおかし。ほんまに大変やったけど、感動ばかりの人生やった。だから…。
つづく…。
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