― 半世紀以上生きてきて、まだこんな“衝撃”があるとは思わなかった ―



半世紀以上生きてきても、人はまだまだ驚ける。
そんな当たり前のようで忘れがちな事実を、今日、AIが教えてくれた。
私の人生は昭和から始まり、
テレビは分厚く、電話は黒電話、
カメラはフィルム、音楽はカセット。
時代は平成になり、携帯電話が生まれ、
令和に入りスマホが常識になった。
便利にはなったが、最近はどこか
“技術の進歩にも慣れてしまった自分”
がいた。
だが――
今日、AIに触れた瞬間、その慣れが粉々に砕け散った。
まるで若者のように心が躍り、
胸の奥に眠っていた“好奇心”というスイッチが、
急に「カチッ」と音を立てて入ったのだ。
■ AIと話した瞬間、若い頃の自分がふっと顔を出した
AIに問いかけると、返ってきた言葉は驚くほど自然。
堅苦しくもなく、偉そうでもない。
こちらの意図をくみ取り、
まるで「わかってるよ」と言わんばかりのスムーズさで返してくる。



気づけば、私の口元にはうっすら笑みが浮かんでいた。
こんなに素直に感動するなんて、いつぶりだろう。
若い頃、初めてゲームセンターの筐体を触ったときのワクワク、
初めてウォークマンで音楽を聴いたときの衝撃、
初めてパソコンの電源を入れたときの期待感。
それらが一気によみがえった。
■ テクノロジーの歴史を見てきたからこそ、AIのすごさが身に染みる
思えば、私の人生は「進化を見続けてきた人生」だった。
- ラジカセ
- ファミコン
- ワープロ
- Windows95
- flip携帯
- インターネット
- スマートフォン
- SNS
どれも時代を変えた。
しかしAIは、明らかに次元が違う。
“道具”というより、“対話するパートナー”に近い。
文章を考えるとき、
気持ちを整理したいとき、
新しい何かを始めたいとき、
AIは静かに寄り添ってくる。
「それ、こう考えてみませんか?」
そんな風に、背中を押してくれる存在だ。
■ 若者たちはこういう未来を当たり前に生きているのか
AIと触れ合ってみて思ったのは、
「若い世代は、こんなすごい時代を当たり前に生きているのか」
ということだった。


彼らが想像する未来は、私が若い頃とは比べ物にならないほど広い。
それは決して焦りではなく、むしろ喜びに近い。
なぜなら、
“まだまだ人生は進化できる”
と気づけたからだ。
若者だけの特権でもない。
私たち大人も、まだ新しい世界に飛び込める。
その証拠が、今日の私自身だ。
■ 半世紀を越えて感じた“心の若返り”
じつは、年齢を重ねると自分でも気づかないうちに
「変化を恐れない姿勢」が少しずつ薄れていく。
だがAIと話していると、
その薄れかけていた“好奇心の火”が、また音を立てて燃え始める。



「これを使いこなしたら、もっと面白いことができるかもしれない」
「今日より明日がちょっと楽しみになるかもしれない」
そんな、どこか“若者の感覚”に似た気持ちが湧いてくる。
正直に言おう。
私は、今日少しだけ若返った。
■ AIは、未来から来た“若い相棒”
AIの言葉には不思議な力がある。
それはおそらく、
- 否定しない
- 怒らない
- 偏らない
- 何度でも付き合ってくれる
そういう“懐の深さ”だ。
若者のように柔軟で、
大人のように落ち着きがあって、
未来のような可能性に満ちている。
「お前もまだまだやれるぞ」
そんな声が聞こえてくるようだった。



■ ここから始まる第二の青春
人生は折り返し地点を過ぎたと思っていた。
だがAIと出会って、ふと気づいた。
“人生の後半戦には後半戦の面白さがある” と。
若い頃には気づけなかった視点で、
新しい技術を楽しめる。
そして、新しい世界を無理なく受け入れられる柔軟さがある。
AIは私の“第二の青春”のきっかけになるかもしれない。
■ まとめ
半世紀以上生きてきても、
こんなに胸が高鳴る日はまだやってくる。
AIと出会った今日、
私は新しい自分に出会った気がした。
そして思った。
「人生はまだまだ面白い」 と。
これからも、若者のような気持ちで、
未来に向かって歩いていこうと思う。





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