令和のサザエさんを目指して…。
このブログは、誰よりも音楽を愛する主人公『タクボン』と、タクボンの父であり元シングルファーザーであった『顎尻おやじ』が、二人の生活において過去、未来、現在と人生を歩み続けて家族が増えたり色々な経験をし成長していく中で感じたことを記していくものです。互いの経験談や趣味の事、好きな曲や本なども紹介できればと思っております
タイトルの二人三曲は何故、二人三脚では?ないのかと思われた方も居られるかも知れませんね。何故なら私達親子はこれまで運動会などで二人三脚をしたことがありません。出来なかったのです。何故なら…。
何故なら、主人公のタクボンは生まれた時から体が不自由で車椅子生活。親子揃って運動会に出ても二人三脚は出来ず…。けれど、タクボンは人一倍!音楽が大好きで、このblogが運動会の二人三脚の代わりとなる物になれば、ずっと二人でこれからもblogの世界で二人三脚で歩いて行けるのではないかと思い、このようなネーミングにしました
世間では、若き天才、那須川天心がキックボクサーの輝かしい戦歴を捨ててボクシングに挑戦したり、野球界では、WBCでの大谷選手の輝かしい活躍…。そんな姿を観ていると二人にも何か出来るのでは?と思いましてね。勘違いも甚だしいですが、大真面目にやって行きたい!と思っています。
できれば家族のアルアルをたくさん書いて、令和のサザエさんや、ちびまる子ちゃんとなる様なblogを目指して色々と記していけたらと思っております。
そして、
⭕️ 子育て大変で孤軍奮闘している、お母さん
⭕️ 仕事に振り回されて頑張っているにも関わらず、家族に味方がいない、お父さん
⭕️ 病気であったり、体が不自由でも前向きに頑張っている、あなた
⭕️ 介護生活の為、家での生活を余儀なくされている、あなた
⭕️ 暇で暇で仕方がなく、たまたま覗いてくれた、あなた
そんな方々に見ていただければ幸いです。こんな二人がいて、こんな破茶滅茶な人生でもやって行けるのか!と感じていただけたら…。こんな二人にもやれたのだから、私にも出来る!やっていける!頑張れる…!そう感じて頂けたら本当に励みになります。
それでは、ここからは簡単に、二人の出会いを…。
私、顎尻おやじとタクボンとの出会いは約四半世紀前の寒い日。
私は若い時から子供が大好き。決して家庭環境が良いとは言えない境遇で育った私は、理想像として、「結婚して、三人の男の子が欲しいなあ」と憧れを持っていました。
そんな私の前に「タクボン」は産まれてきた。
嬉しかった、本当に心の底から喜んだ、やったー、よし!って感じかな。子供が産まれるってこんなに嬉しいとは…想像以上の喜び、奇跡の出会い。
未熟児に生まれたことも、体が少し小さかったことも、なんのその。嬉しいったらありゃしない。「これが俺の子か…。」何度も何度も顔を覗き込んだものだ。そして想像した。「この子と将来何をやろう、何をしてあげれるんだろうと…。」
そんな想像を膨らましている時に、タクボンの体の異変に気づいた…。
病院に行くも、今のところは…。ハッキリとは…。
そんな時に…。何故か…。
タクボンと私は二人で生きて行かなければならなっくなった。。。
まあ顎尻おやじ、一生分泣いたかな、泣いた。間違いなく人生で一番泣いた。男泣き、悔し泣き…。なんやらよう分からんけど、泣きくれた。泣き明かした。毎日、毎日。
イクメンと言う言葉も出来てなかった時代にシングルファーザーになってしまった。ゴットファーザーは映画で見た事があったが、俺はシングルファーザー……。えらい違い。でも本当に泣きたかったのは、何も知らずにスヤスヤ寝てた「タクボン」…。
それからは、私の育ての親である祖父母、(タクボンからすれば、ひい爺ちゃん、ひい婆ちゃん)そして私の妹(タクボンからすれば、叔母さん)の力を借りての人生二人三脚が始まった。
不安やった。ほんま不安。男一人と乳飲み子赤ちゃん。新米パパと新米赤ちゃん。(赤ちゃんは新米で当然か…。)
でも今になって考えたら偉かったわ!!俺の親は。俺と妹を育ててくれた祖父母。二人揃って、俺に、泣きくれている俺に…
「お前が育てなあかん、もうお前は親や。逃げたらあかん。そして俺らはお前とタクボンに尽くして死んでいく…」
表現は良くないかも知れないが、心にきたなあ。(グサっと言うか、えぐられたな。 村田諒太の右ストレート並み。知らんけど…。(関西、特に大阪では最後に「知らんけど」をつけたら何を言っても許されるらしい…。知らんけど))大正生まれの祖父母のこの言葉で、我に戻った。戻らされた。
そして、
長くも、短くもあり、前途多難で、喜びに満ち溢れた
二人三脚の人生が始まったのです。
はじまり、はじまり。
つづく。

コメント