生まれてからのこと①〜小学校入学まで〜

タクボン

 どーも!!タクボンです!

 読んでくださってありがとうございます!

 今日は自分が小学校に入学するまでのことを書きたいと思います。

 自分は生まれて少し経った頃から、足や手のリハビリが出来る施設に通っていました。

 具体的には作業療法と理学療法を受けていました。

 理学療法では、杖を使って歩いたり捕まり立ちの練習をしたり足を伸ばす練習をしたり…。

 作業療法では使うのが苦手な右手を使う練習をしたり、文字を書く練習をしたり…。

 小学校に入学する前にどうしても数字の8が上手く書けなくて…。

 いっぱい練習したのが記憶に残っています。

 なんで書けなかったのかは今になってもよくわからないけど(笑)…。

形なのかな?書き順?!

そして、3、4歳の頃から家族と離れてリハビリで入院をよくしていました

 これくらいからかな?記憶があるのは…。

 同い年くらいの子から、高校生くらいまでの子と一緒に。

 平日は施設でリハビリをして遊んで、土日は家に帰る生活でした

 楽しい時もあったけど、夜寝る時や土日の外泊が終わって施設に帰ってきた時は

毎日、お決まりのように泣いていました。

 家族と離れているし、部屋は真っ暗で怖いし。。。仲良しな子はいたけど知らない子も多いしで、毎日不安でした。

 この頃に僕の中での最初の心友ができた。

 最初はお互い喧嘩ばかりだったけど、そのたびに仲良くなっていった。今でも仲良し。 

 この頃に楽しんでいたのは、ママゴトやTVの「ひとりでできるもん」「おかあさんといっしょ」を見ながら歌って踊ること。

 毎日TVやビデオを見る時間が楽しみでしかたなかった。

 退院してからも飽きることなくTVを見ること、色々な曲を聴きながら歌うことを続けていました。

 楽しそうに歌って踊るのを父が見て、

この子は音楽が好きなのかも。。。」

って思ったと聞きました。

 そんな頃父が、

「この曲歌ってみて」

と1曲の歌を聞かせてくれました。

 その曲は夏川りみさんの

           「涙そうそう」

 最初は歌詞の意味もわからないけど歌うことがただただ楽しくて、

ずっと色々な曲を聴いて歌っていました。

 そんな頃に立つ練習をしながらこの曲を歌っていたら…。

家族が集まってきて、歌を聞いてくれていました。

 ある時は僕の歌を聴きながら泣いてくれている家族がいて…。

 なんで泣いているのかは、あの頃はわからなかったけど、今なら分かる。

 自分の歌を聴いて感動してくれた!!

 その時に改めて、

          「歌うって楽しい!!」

「歌って人を感動させることができるってすごい!」と思いました!

 これが僕の中にある最初の「音楽の記憶」。

 小さなきっかけかもしれない。でも今考えると僕にとって凄く大きな出来事でした。

 自分にとってこの曲は人生を変えてくれた曲です。

 この出来事がきっかけでもっと色々な音楽を聴くようになって「ずっと音楽に触れていくぞ!と決心するのでした。

 自分にとって大事な音楽のルーツの一つ…。沖縄の歌。

 夏川りみさんの曲って良い曲が多いなぁ…。よく聞きなおす。

 特に好きな曲は、「かなかな「フルサト」と「ウンジュの原点ふるさと

いつか沖縄に行って沖縄料理を食べてエイサーを見て、海を見ながら好きな歌を歌いたい

 話変わって、5歳の頃に通った保育園でも、親と離れるときはずっと泣いていた。親からしたら、かなり手はかかったと思う。

 保育園では、劇をしたり、和太鼓に挑戦したり、ピアノの音に合わせて歌ったりしたのが楽しかった。

 人前で何かをすることが、この時まで少なくて、大きい声を出すことが苦手で歌う時以外は声が小さかった。

 でも逆に、人に見られることは好きで、発表会の時も自分の出番ではないところは隠れておくのに、隠れてもカーテンの隙間から顔を出してアピールしてる子供でした。

 父の話以外でも、運動会でも歩行器を使ってみんなと走った。当然、決して速かったわけではないけど、周りの人達が応援してくれてるのが嬉しかった。

 卒園式の時は、家の近くの小学校に通うことを宣言して保育園を卒園しました。

                                   つづく…。

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